支笏湖畔の小学校の駐車場脇、市内からだいぶ距離がありました。茶塗装で太陽電池パネルに覆われたこのタイプとは初対面。湖の奥は風不死岳(ふっぷしだけ)、気温マイナス6度。
コラム:火山監視のまだ見ぬ「M」でも紹介しています。
2018年2月
比較的新しい八角柱タイプの基準点です。足元はかんぜんに雪に覆われていました。背景に少し見える斜張橋のタワーは、石狩川にかかる「たっぷ大橋」。気温マイナス2度でした。
2018年2月
八森といえば「鰰」。白神山地の西の入り口・八峰町の海岸に、冬の雷とともに産卵のため押し寄せる「ハタハタ」のことです。もう少し北上すると青森県境です。 最初 、設置場所として記載のある八森小学校を訪ねましたがさっぱり見当たらず。さらに調べるとその小学校は移転したようで、旧校舎跡地を探して訪ねると、その敷地脇にありました。入口には水産会社の看板がかかっていました。
八角柱タイプの基準点ですが、周囲の樹木が高く育ち受信状態が悪化しているように見えたので、国土地理院の電子基準点課の方に写真付きで報告。学校の移転で施設管理者が変わってしまったのが一因でしょうか。
2018年7月
かつては杉材の商いで栄え、かの「ヤマオー」のモデルとなったバスケの強豪・能代工高でも知られる能代市の基準点は、市北部の土地改良された水田地区「東雲開拓区」の中にありました。 通常は学校や公民館に併設されることの多い電子基準点ですが、ここでは道路脇にポツン。受信状態も最高でしょう。(壁画は市内のものなので、基準点とは関係ありません)
2018年7月
八郎潟北端の八竜中学校にある八角柱タイプ。潟の名の由来が、湖を根城の一つとした伝説の龍だそう(大潟村のHPに詳細あり)。 干拓前の八郎潟は琵琶湖に次ぐ大きさの湖でした。あまり全国的には知られてないですが、これに次ぐ規模の大型干拓事業が、石川県の河北潟でも行われていました。新聞記者だった従叔父が『レポート河北潟干拓』(北國新聞社、1985)にまとめています。
2018年7月
八郎潟の西側、日本海に突き出す男鹿半島北岸の男鹿北中学校。名称に「1」とあるのは、同じ地名の場所に複数設置されているからで、同市には全部で3か所ありますが、今回は飛行機の出発時間が迫り、コンプリートならずでした。経緯をコラム:カーナビ二刀流で紹介しています。運動場をはさんで反対側には、風力発電風車の列や、マイクロ波通信の中継局が見えています。
2018年7月
「P」が付くのは潮位を計測する「験潮場」に併設された電子基準点という意味です。日本海に面したダイナミックな景観の中にありました。コラム:なかなかすごい「P」で詳しく紹介しています。
2018年7月