いろいろあっての「A」

 昭和のウルトラマンは2代目がセブン、帰ってきたのが3代目で、A(エース)は4代目でした。いっぽう電子基準点名に付く「A」は1度移設された点、すなわちその土地での2代目を意味します。基準点コード一覧で見ると2022年2月現在、A点は95か所。また、2度の移設を経たB点は5か所あります。

 人が引っ越すのは進学や就職転勤、家族が減ったり増えたりなど一身上の理由のほか、自然や人為の事故災害でやむを得ずの場合もあります。なるべく長く観測が続けられるよう、条件のよい場所を選んで配置された電子基準点であっても、移設せざるを得ないケースは出てきます。大津波の被害を受けた「田老A」(111184)や「S南相馬A」(11S070)も、移転で「地名+A」タイプの名前に変わった移設点ですし、それ以外にもさまざまな理由で移設は行われています。

 過去に訪ねた中で印象深いA点のひとつが、こちらの記事の取材に向かう途中で立ち寄った、房総の「大多喜A」(181224)  です。

当時の考察をご紹介します。


「大多喜」(960756)と「大多喜A」(181224)  

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 いつものように地理院地図を頼りに、取材に向かう経路上にある電子基準点「大多喜」(960756)を訪ねました。だいたいの当たりをつけてアプローチし、すこし探して銀色のピラーを見つけ、周囲の雰囲気も伝わるように写真を撮って、現場を後にする――。まったくいつもどおりのルーティーンです。

 しかし、帰ってから当たった資料と、撮った写真とで、どうも不一致が目立ちます。ピラー背後の古びた小屋があったりなかったり、電柱の本数が増減していたり。こうしたことは撮影時期によりあり得ますが、雰囲気そのものの違いは否めません。

 

 さらに詳細に突き合わせてみると、地図に示された電子基準点はグラウンド東端、私が撮った電子基準点は北端と、明らかに場所が違っています。

 


 また、道路から撮った写真の中には、グラウンド東側に土木工事を示すオレンジの柵が見切れつつ映っていました。ドライブレコーダーの映像も確認したところ、柵囲いの内側で何かを掘り出したような、くぼんだ痕跡が見えます。

 

 工事記録を閲覧し事情が判明。旧点「大多喜」(960756)は2018年11月10日に運用を停止。地下のコンクリート基礎ごと掘り出され、100メートルほど離れたグラウンドの北端に移設され新点「大多喜A」(181224)に生まれ変わったのでした。Googleストリートビューでも2004年5月の画像でありし日の旧点が確認できました。

 

 私が訪ねたのはたまたま2019年の3月初旬で、新点の運用開始は3月7日から。まさに絶賛移設作業中でオープン直前の電子基準点を訪ねたという、ひじょうにレアなタイミングでの訪点(造語)でした。ラッキー。

 

 印象に残っているA点では、こんなところもあります。


「鹿児島1A」(161218)

「鹿児島1A」(161218)は、地名の後に数字とアルファベットが重なる、ちょいレアな基準点です。数字は単なる識別用で、「鹿児島2」「鹿児島3」は桜島をとりまくように配置されていますが、この点は市の南側の、静かな住宅街の公園に置かれています。

 

 形状は94型ながら設置年度は2016年と新しく、おそらく旧点からまるごと住宅街の公園に移設されたのではないかと思います。

 

 後日、地理院の人に会った際「鹿児島1Aも行きました」と伝えたところ「あそこは、たいへんでした..」と漏らし、少し表情を曇らせたような気がしました。

 

 調べてみると「鹿児島1」(940097)があったのはここから西に4kmほどのゴルフリゾートに隣接する場所。GoogleMapでは「電子基準点 鹿児島1 営業中」と表示されますが、もちろん電子基準点は営業していません。新点移転と重なる時期に運営会社の倒産というニュースも残っていました。そんな事情なら移設工事の難航も想像に難くありません。

 

 ただ公園のマッチ棒は、過ぎた昔などまったく感じさせず佇んでおりました。


 連続観測をモットーとする電子基準点は、工事などによる運用停止や廃点などの予定を事前に公開しています。過去にさかのぼって確認できるよう、サッカー選手交代記録(IN▲/OUT▼)のような「運用を停止した電子基準点」と「廃点に伴う新設電子基準点」のリストも公開されています。