シン・天頂衛星

  準天頂衛星を名乗る日本の測位衛星システム「みちびき」の特徴は、なるべく衛星が日本の上空に長くとどまれるようデザインされた軌道をとる点です。複数の衛星がバトンをつなぎ、天の頂からデータを降らせ続けることで、「ビルに囲まれた都市内や山間部でも良好な受信状態が期待できる」わけですが、しかしこのメリットは、プロ用の受信機をレファレンスとして使用し、厳密な比較実験でも行わない限り、なかなか実感するのは難しいかもしれません。


 しかし、そうであったとしても、井戸に差しこむ陽光がエラトステネスの着想を引き出したように、真上から降り注ぐ電波も我々に大きなメリットをもたらしてくれます。そのありがたみを実感できるレア体験を、私は1990年代始めの南米アマゾンでしています。

 

 現地入りする探検取材チームで、私はインマルサット衛星電話の運用を任されました。当時の衛星電話は、可搬型とはいえ、灯油タンクほどボリュームの本体と、学食のトレイを何枚も重ねたような平面アンテナのツーピース構成。若手だったので、重い機材の運び役を任されたのだと思います。

 

 余談ながらその電話機は今はなきKDDのレンタル品で、ブラジル持ち込みの際には、地元の通信会社にそこそこの額を支払う必要がありました。電波を直接インマルサット衛星に打ち上げるので、現地のインフラを一切利用しませんが、なぜか対価が必要でした。「衛星電話を使わなければ地元の通信会社に落ちるはずだった費用を補填する」というような意味合いの、言ってみればレストランのワイン持ち込み料のような意味合いだったと記憶しています。

 

(アマゾンのとある村にて、筆者中央。1990年ごろ 撮影:M.Minegishi)

 さて当時の(イリジウム登場以前の)衛星携帯電話は、衛星放送のパラボラアンテナ同様、通話のためにアンテナを正しく衛星に向け信号捕捉する必要がありました。パラボラアンテナ設置の経験がある方ならおわかりのように、仰角と方位角の2軸を正しく合わせるのは、わりとめんどくさい作業です。それをアマゾン河を航行する船上でとなると、さらにやっかいなことになるかと思いきや、じつに簡単でした。

 

 赤道直下のアマゾンのちょうど上空に、南北アメリカ大陸の沿岸やカリブ海をカバーする、インマルサットの西大西洋衛星が配置されていたからです。見かけの位置が変わらない静止衛星なので、方向はいつも変わらず真上です。真上なので方位角の調整は必要なく、アンテナはただしく天頂を向ければいいだけです。

 

 天頂に向けるのがパラボラアンテナだと、雨がたまったり鳥がとまったりといろいろ不都合が出るわけですが、持ち込んだのは平面アンテナ。なのでそれを船のデッキや屋根など平たい場所に、ただポンと置けば、自動的に衛星捕捉が完了です。方位角が関係なくなっているので、船の舳先がどっちを向いても、衛星との通信リンクも維持されます。

 

 衛星携帯電話に日本から持参したコードレス電話機を接続、子機を持って船内の厨房に潜み外部と通話する「沈黙の戦艦ごっこ」もできました。もちろん、周囲数百キロにまったく地上系の無線通信インフラが存在しない、90年代はじめのアマゾン河を航行しながら。なかなかに貴重な体験だったと思います。

 

 アンテナを真上を向けるだけでいい「シン・天頂衛星」、その天恵を受けるのは赤道直下の限られたエリアだけとはいえ、かくもありがたきものでした。